高知城
城は、はじめ河内(こうち)山城と称したが、慶長十五年、二代藩主忠義のときに高智山城と改名、
これを略して高知城となったのは後のことであると言われています。
「山内一豊の妻」といえば内助の功のお手本として知られているが、
名を山内まつ、山内千代ともいう。
一豊の死後は出家して見性院となった。
かつて一豊が織田家に仕えていた頃、馬市で名馬を見いだしたが、買うお金がなかった。
その時、千代は嫁入りの時に実家から持たされた黄金十枚を鏡の下から取り出し、
「いざという時の蓄えにしていたので、使ってください」と差し出したという。
それからほどなくして、安土城下で馬揃えがあったが、
その馬を見た信長の目にもとまり、出世の糸口になったとのこと。
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高知城 |
高知では大手門を追手門と呼ぶそうです。
追手門から天守閣を望めるのは高知城だけ!

(追手門&天守閣)
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山内一豊の胸像 |
高知城は、「駿馬と妻の十両」で知られる
山内一豊によって築かれたものである。

(山内一豊の妻の像)
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名物の鰹のタタキ |
鰹のタタキは絶品でした!
美味かった!

(ホテルのロビー) |